大うつけは馬鹿じゃない
歴史上で大うつけと呼ばれている人たちって実績を残した人が多いのではないでしょうか?

織田信長とうつけについて

日本史の中で大うつけと言って思いつく人は織田信長ではないでしょうか?

織田信長と言えば中世最大の天才とか言われていた人物ですし、彼が生き残っていたら海外にも攻め込んだとか色々と言われている人物です。

しかし、織田信長も若い頃は「うつけ」とか「大うつけ」と呼ばれていたわけです。どの辺りがうつけと呼ばれてしまうかですが、やっぱり、服装がだらしなかったり徒党を組んで街を歩いていたりしていたからではないでしょうか?
その信長のうつけ癖がなぜ、治ったかと言うと一説には守役である平手政秀が切腹する事件が起きたからだと言われています。

信長が余りにも素行が悪いから、教育係の平手政秀が責任を取って切腹をしたと言う話です。
しかし、書物によって違うところがあり、平手政秀が切腹しても信長は素行を改めなかったという話もあります。

ちなみに、斎藤道三と会った時は、城の外のだらしない恰好の信長を見た斎藤道三は「うつけ」だと思って正装で現れませんでした。
しかし、会見の時の信長は正装で来たので斎藤道三はビックリしたと言う話があります。

ここで斎藤道三は信長が「うつけではない」と理解したようです。
尚、うつけに関しては信長だけではなく、長曾我部元親なども姫若子などと呼ばれたりして評価は低かったのですが、戦に出るや大活躍したり一時は、四国をほぼ手中に収めたりしていました。
うつけだったはずの人が活躍すると言う話は海外にもあります。

斉の威王もうつけから名君に変わった

昔、中国の戦国時代に斉と呼ばれている国がありました。

そこではじめて王を名乗ったのが斉の威王なわけですが、斉の威王は即位してから9年間もの間、政治を一切みなかったとされています。
酒ばかり飲んで遊んでいたようです。

すると、斉の王様がうつけだと思ったからか、晋などは斉に攻め込んで領地を奪っています。
さらに、弱小国のはずの魯までが斉に攻め込んで土地を奪ってしまいました。それでも、斉の威王は何もしなかったと言われています。それが9年間続いたのですが、ある日、即墨の大夫を呼び寄せました。「なんじに対しては毎日悪い噂が聞こえてくる、しかし、密かに人をやって即墨を調べさせると、非常によく治まっている事が分かった」そういって、即墨の大夫に1万戸の領土を与えたと言われています。

逆に阿の地の大夫を読んで、「なんじに対しては、毎日、良い噂ばかりが聞こえてくる、しかし、人をやって調べさせてみると、全く治まってない事が分かった。
私の側近に賄賂ばかり送っておったな」そういうと阿の大夫を処刑してしまったと言うのです。

さらに、賄賂を受け取った自分の側近も処刑してしまい、そして自ら政治を取るようになりました。さらに、他国に奪われた領土を全て取り返したとされています。
これにより他国は多いの恐れて、斉をを攻めようとするものはいなかったと言う記述までありました。うつけから大物に一気に変身したと言えます。

楚の荘王もうつけだった?

織田信長よりも斉の威王よりもさらに、昔にうつけから大物に変身した人物がいました。

それが楚の荘王です。楚の荘王は位についてから、色々と問題もあり臣下にさらわれてしまいました。結局は助かるのですが、そこで楚の荘王は酒と女にうつつを抜かすという事をします。

さらに、自分に対して諫言した物は殺害するとまで宣伝しているのです。
それを3年間も続けたと言われています。そうなると、国政は上手く行きませんし、戦国時代なので他国に領土を奪われてしまうわけです。それでも3年間、荘王はうつけを続けました。しかし、3年が経過した時に、伍挙という家臣がなぞかけ遊びをしたいと言い出します。

「南の島に大きな鳥がいますが、3年経っても鳴きもしませんし、飛びもしません。これは一体なんという鳥でしょうか?」そう言ったとされています。
楚と言う国は南の方にある国なので、南の島の鳥と言うのは、暗に「荘王」を指すわけです。この回答に対して「ひとたび飛び立てば天まで届くし、ひとたび鳴けば大いに人を驚かすであろう、お前は下げれ」と言ったとされています。

その後、蘇従という家臣が死を賭して荘王を諫言しました。
その結果、荘王は「うつけ」を解いて政治に専念するようになりました。その時に、うつけを振舞っていた荘王に女を勧めたりしたものは処刑されましたし、さらに、賄賂ばかり集めているような大臣は既にチェックが出来ていて処刑してしまいました。これにより国内が治まったとされています。
その後、楚の快進撃が始まり、最後は宋の国に諸侯を集めて覇者になるわけです。これもうつけから、大物への鮮やかな転身と言えるでしょう。

昔の人物は「うつけ」から大物に転身した人もいたと言う事です。
尚、織田信長は史記のこの記述などを知っていた可能性もあるのではないでしょうか?それで、真似をしていた可能性もあります。
織田信長と言うのは、非常に勉強熱心な一面もあるので、全く知らなかったとかそういう事はなかったでしょう。

人間はうつけにも賢人にも変わる

人間って言うのは、私が思うに「うつけ」にも「賢人」にもなるものだと思っています。
例えば、与えられた仕事がうまく出来ないと、多くの人達は「あいつは馬鹿だ」と陰口を叩くこともよくある事です。

しかし、仕事を変えてみたらうまく行って賢人になってしまう例もあるのです。しかし、今の日本では特に中小企業などでは、その辺りは中々分からない人が多いようです。与えられた仕事が出来ないと、「お前はどこに行ってもダメだ」とか人格否定に走る人も多いのですが、私は良くない事だと思っています。
むしろ、その人が仕事をやりにくい環境を作っている方が無能ではないでしょうか?
今、話したお話は全て王様のお話しなので、こういう結果にもなりますが、実際にサラリーマンなどであれば、そうは行かないでしょう。
しかし、適材適所や多くの人の能力を生かせる職場が作られたのであれば、会社として伸びるのではないかと思います。大きなお世話かも知れませんが、日本が少しでもよくなり人々の生活がよくなればなと思っています。

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