中国の戦国時代・趙の宰相を務めた平原君を紹介します。

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中国の戦国時代に活躍した趙の宰相を務めた平原君の活躍や失敗などを紹介します。

平原君が妾の首を斬った理由

戦国四君のうちの一人である平原君には妾がいました。そして平原君はなんと妾の首を切り落とすこととなります。このエピソードについてなのですが、どうして平原君は妾の首を切り落としてしまったのでしょうか。まず妾というのは婚姻をしている男性が妻以外にも囲う女性のことです。

つまりは現代で言う愛人ですね。経済的援助を伴う愛人のことになります。平原君にはたくさん食客がいましたが、妾が食客の足の悪い人のことを笑いました。笑われた足の悪い人は、笑われたのは恥である、足のことを笑った女の首を自分にくださいと言います。そこで平原君はすぐに分かった、すぐに首を切ろうというのですが、実際には首を切らずに妾と一緒になって足の悪い人のことを笑い身の程知らずと罵ったのです。それからしばらくして食客たちが平原君のもとを去っていきました。

どういうことだと尋ねると約束をほごにしたからだと食客は答えます。そこで自分の過ちに気づいた平原君が妾を殺し、その首をもって笑った食客の元へ持っていき謝ったことで、和解をすることができたというこです。

毛遂の活躍とは

中国の歴史の中でも戦国時代における趙の政治家であった平原君ですが、その平原君には食客が大勢いました。そして平原君は紀元前259年において楚へと赴くことになります。というのも秦軍が趙を攻めてきて趙の首都であった邯鄲を包囲してしまったので救援を求めるために楚へと出向いたのです。そしてその際に客の一人が同行したいと名乗り出てきました。それが毛遂だったのです。この時平原君は断りました。断ったときの平原君の言葉が賢人は錐を嚢中に入れておくようなものですぐに袋を破って先に出してくるもの、あなたが私のところに来てから3年評判は聞いていません。というものでした。それに対して毛遂は、今日こそ嚢中に入りたいと思います。

私を早くから嚢中に入れておけば先どころか柄まで出ていましたよと答えたのです。その答えが気に入り平原君は毛遂を連れていくことにしたのです。そして毛遂はその通り活躍することとなります。平原君は楚の考烈王に合従を説いたのですが中々まとまらずにいました。毛遂が説いたところ考烈王がそれを受け入れることとなったのです。

李同の活躍

平原君の城内における兵士の中に李同というものがいました。趙において城内の趙の国民たちは飢餓に陥っていて餓死寸前のところでした。中には子どもを交換して殺して食料にせざるを得ないような状態だったのです。非常に危機的な状態であったといえるでしょう。

それにもかかわらず平原君らといった貴族たちは城内において変わらずに贅沢三昧をしていました。そこで李同が平原君に対して、飢えている兵民に対して他人事のように生活されている、だけれども城がもし敗れた場合には貴方も無事では済まない、今は私財をすべてなげうつべきだとの進言を行いました。それに対して平原君は答えます。自分の私財を好きに持って行っていいといいました。

また侍従には炊き出しなどの労働も行わせました。これにより今まで下がっていた城内における士気も上がって生気が戻ってきました。そして李同は援軍が来るまでの間の時間稼ぎとして特攻隊を募って李同自ら率いることを提案しました。そして平原君も承認したのです。そしてその策に成功しました。李同は討ち死にしましたが戦功が評価されました。

平原君の評価

平原君とは中国の戦国時代における趙の公子であり政治家でもある人物です。氏は趙で諱は勝と言います。中国戦国時代の趙の君主であった武霊王の子であり、趙の第7代の君主であった恵文王の弟でもあるのです。戦国四君のうちの人りで人士を好み食客を数千人集めていました。紀元前251年に平原君は死去することとなります。子孫が平原君を継いだのですが、秦によって趙が滅亡させられることとなったときに共に滅ぼされることとなりました。

この平原君についてどういった評価があるのでしょうか。平原君という人物はどういった人物だったのでしょうか。平原君は戦国四君のうちの他の三名の君と比較しても軽はずみな失敗が多かったと感じます。人間臭い人物だったというのです。欠点の多い人物であるとも評価されていますね。ですが自分が間違ったことをしてしまったと思えば素直に謝る、詫びるといった人間臭い一面もあったようです。素直さのおかげであるのか、戦国四君の中においては珍しく地位を持ったまま天寿を全うすることとなりました。何より人間らしい人物だったようです。

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